たなたな58迷馬・①シャムローグ
ドライスタウトが全日本二歳優駿を制し、私の出資馬による、初めてのGI(級)レース勝利となった。改めて、ドライスタウト、戸崎騎手、牧浦先生ほかこの馬にかかわってくださったすべての関係者の皆様に感謝申し上げたい。
ここで、私の一口馬主も一つの区切りを迎えたということで、過去に出資した馬たちを振り返っていきたいと思う。題して、「たなたな58迷馬」。最初に出資したシャムローグから、ドライスタウトまでを振り返っていく。
第1回は、シャムローグである。
キャロシルク赤バッテンアンチな私からすると意外に思われるかもしれないが、10年ほど前はキャロットクラブ会員であった。
糞みたいな職場環境であった某地方銀行から退職し、1年のフリーター期間を経て、今の役所が、よほど見る目がなかったのであろう、拾ってくれて、無事転職が決まった。当時の人事課の見る目と僕の馬を見る目はいい勝負だと思う。
自分への転職祝いとして、中学生のころからやりたいやりたいと思っていた一口馬主を始めようと思い立った。個人馬主は無理であろうから・・・とこの趣味に目を付けていた、妙に現実的な、夢のないガキである。
月々の費用を考えると、400~500口クラブでないと無理。当時はもっと分割口数の多いクラブはあっただろうか。無かったように思う。今始められる方は、そういう意味でも恵まれてると思います。
閑話休題。出せる価格帯のクラブであって、所属馬が活躍していたのがキャロットクラブだったので、とりあえずキャロットクラブに資料請求した。
そして、選んだのがシャムローグである。現役時代に大好きだったディープインパクト産駒であること、また、それにもかかわらず一口4万円というリーズナブルな価格(可視型地雷やんけ)であったことから出資を決めた。馬体が小さかったが、仔馬やしそんなもんやろ、そのうち大きくなるやろ、大きくなったら儲けもんや、という期待・願いを込めての出資であった。
かくして、私の一口馬主ライフはスタートした。これにて、58迷馬第1回はおしまいである。
えっ、シャムローグの競走馬生活について?
物事には語らない方がいいこともあるんですよ。
とはいうものの、一つだけ思い出と、それに関わる気持ち悪い話を語ることとする。
結局全く大きくならず、競走能力も伴わない、典型的な「鹿」であったシャムローグの最後のレースは、ダートのレースであった。全く勝負にならないであろう、ただ走ってくるのを見守るだけ・・・と阪神競馬場へ向かった。今ならこのパターンは、もう家で見てますね。当時は熱心でしたね。
シャムローグは、勝負所で上がってきて、なんと見せ場を作ったのである。これには驚いたし、少し感動した。
結果8着であったが、良いレースを見られたと思った。
その後、向こう正面からなかなか帰ってこないシャムローグ。どうも、力を振り絞って走り切ってくれたようで、疲れてなかなか動けなかったようであった。しばらくして、とぼとぼとゆっくりと帰ってきた。
次回に詳しく紹介する②グラーネもそうであるが、①シャムローグには、「色んな競走馬」がいる、ということを学ばされた。
ただ、そのわずかな、小さな、馬券を買う人たちが一瞥もくれないようなほのかな輝きであっても、出資者として縁ができた僕の心を鷲掴みにし、強く揺さぶるものがあった。
かくして、どっぷりと私は一口馬主沼に浸かっていったのである。
シャムローグとグラーネは、照れ臭いので口悪く書けば、私をこの沼に引きずり込んだ「大戦犯」であり、素直に書けば、私をこの魅力的な世界を、馬券を買っているだけでは知り得ない世界を教えてくれた「功労馬」であった。
そして――
シャムローグは繁殖牝馬となり、パトリックやクアトレフォイルの母となった。両馬は中央競馬で勝ち星をあげ、見事母のなしえなかった悲願を達成したのである。
競馬新聞の片隅に「母 シャムローグ」という文字列を見るたび、僕は、あの阪神競馬場での最後のレースを思い出して胸を熱くし、そして、少し懐かしく、嬉しい気持ちになるのである。クアトレフォイルの馬主名を見ると不快な気分になるけれども。
これもまた、競馬という奥深く、広い世界を彩る「面白さ」や「悦び」のひとつであろう。
私の「競馬」をより楽しく、世界を広げてくれたシャムローグに、感謝したい。
ありがとう。
綺麗にまとまったので、第1回はここまでとする。