サイコーキララと石山繁①?
人生はきっかけひとつで大きく変わっていくものである。
それが人生の面白みであり、残酷さでもある。たかが35の若造が何を語ると一笑に付されそうであるが、これは確かであろう。
あのときこうしていれば、こうはならなかったのではないか。逆に、あのときこうしていたから、こうなれたのではないか。そういう「とき」の記憶は、仕事、学業、恋愛、人間関係、勝負事等々、いろんな場面で、誰にでも思い当たることがあるかと思う。
最近の競馬で言えば、昨年の横山武史騎手。エフフォーリアで皐月賞を勝利し初GI制覇を決めると、その後、あれよあれよとGIを勝ちまくった。ダービーでの惜敗は、いつものことなら、外国人騎手に即乗り替わり、お役御免となった可能性もあったが、妙な書き方になるけれども、「コロナ禍」が彼に味方していた。
そういう意味で、彼には運もあった。「人生を左右するとき」をモノにするには、平生の努力を怠ってはならないことは当然のことであるが、運も必要。どれだけ手を尽くしても、人がどうすることもできない領域がある。何とも残酷なものである。
昇竜の如き勢いで高みに上りつめていくエフフォーリアと横山武史を見ていて、思い出したコンビがいる。
サイコーキララと石山繁。
2000年のクラシック戦線は、群雄割拠―といえば聞こえはいいが、中心馬不在の「カオス」な様相を呈していた。牡馬の方は主役候補の一頭に「カク地馬」がいた―ということだけでも当時のカオス感を感じ取っていただけるのではないだろうか。
さて、牝馬であるが―
1999年の阪神3歳牝馬S(レース名は当時のもの。今の阪神ジュベナイルフィリーズ)を制したのはヤマカツスズラン。これが骨折で戦線離脱。
2着ゲイリーファンキーは外国産馬で、当時はクラシックレースに出走することが出来なかった。
3着マヤノメイビーは桜花賞直行。経緯は知らん。
では、4着チアズグレイスは…というと、年明けの紅梅S、エルフィンSで連敗する。
チアズグレイスを両レースで2着に下し、2000年牝馬クラシック戦線の主役に名乗りを上げたのが、サイコーキララであった。
浜田光正厩舎に所属するサイコーキララは、父リンドシェーバー、母サイコーロマン。きょうだいに、1200m3勝のサイコーデボネアがいる。
同馬は1200mでデビューし勝利。2戦目に1400mの紅梅S、3戦目に1600mのエルフィンSと、200mずつレースの距離を延ばしながら、無傷の3連勝を達成する。
1600mにめどを立て、いざ桜花賞へ。
サイコーキララ陣営は、次走に4歳牝馬特別(今のフィリーズレビュー)を選択する。
デビューからサイコーキララとコンビを組む石山にとっては、並々ならぬ思いがあったことは想像に難くない。
1998年牝馬クラシック戦線。サイコーキララと同じ浜田厩舎所属の1頭の牝馬が注目を集めていた。
ファレノプシス。
1200mでデビューし勝利。2戦目に1400mの条件戦、3戦目に1600mのエルフィンSと、200mずつレースの距離を延ばしながら、無傷の3連勝を達成する。騎手は3戦とも石山。
チューリップ賞にコマを進めたファレノプシスと石山は、単勝2.1倍の1番人気の支持を受け、ここを勝って、本番・桜花賞へ…というファンの思いを託された。
しかし・・・
スタートで出遅れ、挽回して中団にとりつくも、馬群に取り囲まれ、勝負どころでポジションを悪くしてしまう。直線ではインが開かず、大きく外に切り替えて差を詰めるも、時すでに遅し。4着と敗れた。端的に書けば、ひどいレースである。
この敗戦で石山はファレノプシスから降板。
ファレノプシスは新たな鞍上に武豊を迎え、桜花賞を制する。同馬のその後の活躍はご存じのとおりである―。
サイコーキララに話を戻す。
2年前のファレノプシスと、同じ調教師、同じ騎手、そして酷似する臨戦過程で桜花賞トライアルに挑む。
期せずして、1999年の新語・流行語大賞の年間大賞のひとつが「リベンジ」(受賞者は松坂大輔)だった。
石山繁、サイコーキララで2年前のリベンジなるか。
当時の競馬中継で、何度も「2年前」の話題があった。だから、1998年クラシックは見ていなかった僕も、中継を見ていて、サイコーキララと石山を応援するようになっていた。こういう表現は好きではないが、僕もまた、こういう物語が好きな、典型的な「日本人」なのである。
胡蝶蘭からしたたり落ちた涙雨が、2年の時を経て、石山桜を咲かせるか。
まずは、乗り越えねばならぬ大きな壁がある。勝たなければならぬ大事な戦いがある。振り切らなければならない過去がある。
サイコーキララと石山繁の、大事な桜花賞トライアルが始まった。
(記事中の登場人物については敬称略)
(続・・・くかどうかは知りません。飽きたのでここまで()