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便所の落書きシリーズ②・高校生がDQNにボコられたニュースの反応から感じた気持ち悪さについて

タイトルのことについては連続ツイートで書いたが、何のためのブログやねん、ということで、こちらにも書いておくこととする。 高校生がDQNに理不尽にボコられたニュースの気持ち悪さは、DQNのクズさもあるが、何よりも、その手の輩に絡まない方が良い…という高校生の立ち回りの悪さを捉え、自らはどうせ何も知らんぷりして後でSNSででも書く程度の意気地の無さを正当化し、それを助長する意見が幅を利かせていることである。 そういう場合は、一人で立ち向かうのではなく、例えば、電車にSOSボタンがあるならしれっと押すとか、そっと車掌室に向かうとか、自らの素晴らしい、尊敬すべき「正義感」を貫きつつ、自分を守る意味において有効な方法がありますよという助言こそが広まるべきであろう。 若者含め人間の「正義感」をくじき、無理が通れば道理が引っ込む状態をのさばらせておき、それが「賢い生き方」なのだという妙な教訓が広まることには絶対になってはならない。 私は、かの高校生を尊敬し、「私なら近づきませんわーwww」などと外野席で宣う輩が心底気持ち悪いし、侮辱しますね。 ・・・と、ここまでツイートしたところである。 ざっと「電車 トラブル」で調べてみたところ、以下の記事がヒットした。 たばこ注意で高校生に逆ギレ暴行 電車内での迷惑行為、JR東日本が推奨する対応とは(ENCOUNT) - Yahoo!ニュース 「SOSボタンというのがあり、車内の迷惑行為その他の場合には躊躇なく押せばいい。」 自らの意気地なさを正当化したり、DQNの暴力動画を外野席からキャッキャ楽しむのではなく、まずは、こうした「対処法」を知っておき、いざというときには行動に移せるよう備えておくこと。それと、SOSボタン押下による列車の停止や遅延を咎めないこと、そういう風潮を醸成することが求められる。 これらのことに資するために、電鉄会社及び「広義の報道者」は努めなければならない。 さらに、前者においては、SOSボタンを分かりやすく設置すること、後者においては、このような事件が起きないためにどうすればいいか、どのような方法があるかというところまできちんと報道を「やり切る」ことが求められる。 でなければ、第二の「心美しき被害者」が生まれ、いたずらに「正義感をくじく」だけの風潮がまかり通るだけになろう。それだけは絶対にアカン。今回のケースにおい

便所の落書きシリーズ・落語「コロナの世の中」

あるところに、コロナ禍に過敏に反応するあまり、家をろくに出ていないお坊ちゃまがおりました。 これではさすがに体にも良くないと家族が心配して、桂三枝や吉村知事が「いらっしゃーい」とはしゃぎだしたころに、外へと連れだしたのです。 外出したお坊ちゃまはびっくり、誰もかれもがマスク姿。かつての世の中とはすっかり変わってしまっていました。 もう一つ驚いたことがありました。 それは、街を行く女性の多くが美人だったことです。世の中にはこんなにきれいな女性が溢れているのか、とお坊ちゃまは驚きつつも楽しくなりました。 それから、幾たびの緊急事態宣言や軟禁生活を経て、晴れてコロナ禍が収束した世の中がやってきました。 お坊ちゃまは、たくさんの美人で目の保養をしようと、意気揚々と出かけていました。 お坊ちゃまはびっくりしました。あのとき美人に見えた女性たちは、マスクを外すと、全く違って見えたのです。 ガッカリして家に帰ってきたお坊ちゃまは、親にこう言いました。 「やっぱり、世の中コロナに限る」 ※割と真面目寄りな記事が続いた弊ブログですが、こういうことも書きます。もちろん、目黒のサンマのパクリです。