便所の落書きシリーズ③ なぜパンサラッサはドライスタウトが消せなかった火を消せたのか、自己分析
久々のブログ更新である。
下書きを見ていると、以下のような、1月中旬に書きかけたものがあった。
『釣りにあっては、六甲アイランドで、ルアーで太刀魚を釣ったこと。
オタク趣味にあっては、水樹奈々さんのライブを見に行ったこと。
後から振り返ってみれば、ああ、あそこがピークで、あそこから山を下り始めたなというポイントがある。
ドライスタウトによる大願成就は、一口馬主という趣味においては、ピークだったのではないか―。
「出資馬でGIを勝ちたい。」
「地方交流重賞を勝ちたい。」
「非ノーザンでノーザン馬を蹴散らして勝ちたい。」
そのすべてがいっぺんにかなってしまうなんて果報者です。人馬に感謝申し上げたい。
今だからこそ言えますが、出走さえできれば勝つと思っていました。コンシリエーレが回避して出走が決まった時は、不思議な追い風を感じたものです。
さて―これからどう楽しむか。』
・・・と書いているが、結局この後、ハートオブリバティや、ノルマンディーSFに新たに出資するなど、ピークは過ぎれど、一口馬主という趣味への情熱の火は完全に消えていなかったのである。
しかしながら、ドバイでパンサラッサが大快挙を成し遂げ、完全な一口馬主燃え尽き症候群となり、リアルドンカルロやワラウカドマルガイへの関心をすっかり失ってしまったことはもちろん、出資馬のレースへの情熱も、やや薄らいだ気がする。
たかが地方のレース、海外のレース勝ってこそよ、というような地方競馬蔑視のスタンスだったということではなく、これはぼくの「競馬という趣味を楽しむ土台」によるところが大きいと自己分析している。
ぼくが競馬を見始めたきっかけはダビスタを始めとした競馬ゲームであるが、実際に初めて競馬中継を見たのは、1998年の天皇賞(秋)であった。
逃げて、直線では追い込み馬のような末脚を使う―
そのレースでの大本命馬は、そのような紹介のされ方をしていて、これは実際にテレビで見たいと思ったものである。
黄金色に輝く、美しい1頭のサラブレッドが、圧倒的なスピードで他馬を置き去りにしていく姿は衝撃的であり、今でも、鮮やかに脳裏に焼き付いている。初めて見る本物の競馬であったが、これはとんでもない勝ち方をする、日本競馬にとどまらないレベルの歴史的なサラブレッドを見ることが出来た、本物の競馬って面白いものなんだな―と興奮したものである。
―あの物語の続きを見たい、強い逃げ馬が歴史を創る姿を見たいという思いが、ぼくが「競馬という趣味を楽しむ土台」にあり続けた。
サイレンススズカはサイレンススズカであり、パンサラッサはパンサラッサであるというのは大前提とした上で、されど、ハイペースで逃げ、死闘を制し、世界の舞台で輝いたパンサラッサが、私のその土台を、願いを、夢を非常に劇的に昇華してくれた。
だからこそ、なのであろう・・・と思う。
長く競馬を、一口馬主を続けてきて、本当に良かったわあ。人馬に深く深く感謝したい。
どうか、今後も無事で過ごしてもらいたいと願うばかりである。